ただいま~!在米6年目のまりこです。
今回は、私がアメリカに来た経緯について書いていきたいと思います。
在米日本人が今も増える中、渡米を決意するのは、人それぞれ色々な理由があることでしょう。
「ビジネスで成功したい」「英会話を本場で学びたい」「国際結婚」「駐在」
私は、「国際結婚で移住しました!」と言いたいところなのですが、
実は、複雑な理由と想いがあってアメリカに来ました。
結婚して数年で突然の別れ
私は、日本でアメリカ人の夫と出会い、国際結婚しました。
結婚してから、数年して子供も授かって、これからもっと幸せになっていくはずでした。
そんな私が臨月のころに、夫との別れは、ある朝突然起こりました。
夫は、その朝に私より先に起床して、コーヒーを淹れていました。
コーヒーを淹れてからトイレに入ったようでした。私も起きてからトイレに行きたくなって
「まだ、トイレ使ってるの?」と声掛けをすると、応答がありません。
そのあと数回声掛けしても応答がないので、トイレのドアをノックします。
それでも、応答がないのでドアを開けたら鍵がかかってないことに気付きました。
ドアを開けるとトイレに座った状態で、気を失った状態の夫がいました。
自分なりに息をしていないことを確認しました。
すぐに救急車を呼びました。
電話で救急隊員の方が心肺蘇生をしてくださいと指示されました。
彼は、背が185㎝。アメリカ人成人男性の中でも平均より大型な体格をしていました。
妊婦の私が、身体の大きな成人男性を座った状態から、仰向けに寝かせる体制にできるわけがありませんでした。
一人もがいているうちに救急車が到着しました。
救急車で付き添う中、私はずっと彼の手を握りながら、話しかけていました。
病院に着いて、彼が救急治療室に運ばれて、待つ間、アメリカにいる彼の両親、彼の一番親しい友人、私の両親に今の状況を報告しました。
待っている間、気が気ではありませんでした。待ち時間が長くなればなるほど嫌な予感が、頭をよぎりました。
しばらくして、病院の救急治療にあたっていた方から
「最善を尽くしたのですが、死亡が確認されました。」と報告を受けました。
その瞬間から、これは現実なんだろうかというループがずっと頭を駆け巡っていました。
あまりの衝撃に、泣き崩れるというよりは放心状態という感覚だったのを覚えています。
昨日は、あんなに元気にしていて、ご飯も食べて、何一つ変わらない日常を送っていたはずなのになんで。
頭の中で答えの見つからない自問自答を繰り返していました。
もちろん、悲しかったのは私だけではありません。
彼のアメリカにいる肉親に、この報告をしなくてはいけませんでした。
だから、しっかりしていなければいけない。お腹の娘のためにも、わたしが一番しっかりしていなくてはいけない。そう自分に言い聞かせ続けました。
病院で、その後の色々な対応に追われていたため、テキストで報告したのか、電話で報告したのか記憶が曖昧です。
アメリカの家族全員が、悲しみに打ちひしがれていただろうと思います。
私は、事が起こったその日、妊婦検診がありました。
義理の姉が、私に気を遣ってくれて私がひとりにならないようにとフェイスブックを通じて、夫の友人に連絡をしてくれました。
その友人は、私の検診が終わるころに病院までわざわざきてくれました。
バスに乗って話をしながら、自宅まで帰宅しました。
不思議なのですが、夫が亡くなったその日から、私がひとりになる瞬間はありませんでした。
私の友達、彼の友達、私の家族が入れ替わりながら一緒にいてくれました。
警察から葬儀場の案内をもらう
家族が自宅で突然死した場合、警察を呼んで事件性がないか確認する「検視」が必要になります。
死体検案書が発行されるまで遺体は警察に預けられます。
警察の方2名が自宅にきて、何がどう起きたのかを、始めから最後まで詳細を事細かに説明しないといけませんでした。
自宅での説明の後、死体検案書をもらうために警察署に行きました。
葬儀屋の方もその場にいました。書類を受け取って、警察から葬儀屋にバトンタッチされたタイミングで、パンフレットを差し出してきました。
それは葬式会場案内のパンフレットでした。
正直なところ、この時私は不快に感じていました。
でも、やらなければいけないこともわかっていました。
でも、気持ちがついていかない間にやらなければいけないことを、周りから突き付けられていっぱいいっぱいでした。
そこからは、葬儀屋とのやり取りが始まって、お葬式の段取りを組んでいきました。
アメリカ大使館からの連絡
亡くなった夫は、アメリカ人でした。
日本に住んでいたので死亡届が役所に提出されたら、アメリカ大使館の方から電話で連絡が入りました。
担当の方は、とても親身に対応してくれてたことを覚えています。
大使館宛てに夫の身分証明であるパスポートを送付しなくてはいけませんでした。
しばらくして、英文の死亡届が5枚くらいと無効になったパスポートが大使館から届きました。
夫の兄弟がお葬式のために来日
亡き夫は、4人兄弟の長男でした。
お葬式のためにドイツに住んでいた弟夫婦と、アメリカに住んでいた末っ子の弟が来日することになりました。
ドイツに住んでいた弟と夫は10年近く会えていませんでした。
歳が一番近い弟だったので仲良しだったんだろうと思います。
夫が幼少期の話をしてくれるときは、だいたい弟が登場していました。
夫は弟のことを、何より楽しそうにいつも語っていました。
そして、この来日が、私と弟との初対面でした。
夫から聞いていたイメージそのままの感じの人でした。
その場に、夫がいないことがとても悔しかったです。
弟も、仲がすごくよかったのに、長年会えていなかったことにとても後悔していた事だろうと感じました。
【お葬式】夫からのリクエスト
夫のお葬式には、兄弟を含め、たくさんの方が来てくれました。
夫は生前、私にお葬式をするときはこうしてほしいと要望を伝えてくれていました。
それは、一度だけの会話ではなく、何回かこの会話をしたことを覚えています。
あたかも、自分の死期を知っているのかと思わせるようでした。
彼の血の繋がった父親も若い時に亡くなっていたので、もしかすると、父親の存在に彼自身を重ねていたのかもしれません。
そんな彼の要望に応えたお葬式は、おそらく参加者全員が一生に一度しか経験しないのではないのかと思う無宗教の形式で行われました。
式の流れで、献花(けんか)と言って、棺に花を手向ける儀式がありました。
参列者が献花する間、その場には彼が大好きだったロックバンドのガンズ・アンド・ローゼズのアルバムがずっと流れていました。
実家で娘を出産
夫が亡くなってから、怒濤の日々が過ぎていきました。
お葬式、急な東京から岐阜への引っ越し作業、全てを語るにが大きくなりすぎるのでここでは省略します。
出産は、私の生まれ育った岐阜にもどって娘を迎えました。
母の通う産婦人科が、急なお願いにもかかわらず、私を受け入れてくれました。
ここは、私が生まれた産院でもあったので、娘を同じ場所で出産できてとても嬉しかったです。
【義父母からの提案】娘とアメリカ旅行
私は、亡き夫とアメリカに移住する計画をしていました。
ビザの申請もしている中、彼が急死して計画は振り出しにもどってしまいました。
娘が生まれて、半年ほど経ってからアメリカの義父母に会いに行くことになりました。
数カ月滞在させてもらって、楽しい日々を過ごさせてもらいました。
滞在中に、義父母からこんな提案をされました。
「これからはどういう人生設計していこうと思ってる?よかったらアメリカに移住しない?」
温かい言葉に私は胸がいっぱいでした。それは、まさに亡き夫と私が話していた計画の
プランBの選択肢だったのです。
私たちは、ハワイに移住するか、しばらく義父母の近くで住むという計画をしていました。
夫がいない今、その計画を私が実行しよう。私はそう思いました。
シングルマザーになって大きな決断という決断を私だけでしなくてはいけなかったことはとても大変でした。
でも、これはチャンスだ!ってその時、思ったんです。
娘にとっても父親がいないからこそ、おじいちゃん、おばあちゃんとの時間を共にすることで自分がどこからきているのかを知るいい機会になればいいなと思いました。
その反面、私自身の親にはとても心配をかけました。(今もかけていると思いますが)
「本当に大丈夫?」「仕事はどうするの?」たくさん聞かれました。
とても心苦しかったです。
まとめ
自分の家族の元、育った街を離れて、母子だけでアメリカにやってきた経緯を書いてきました。
正直なところ、これを書くまでに勇気がいりました。
振り返る内容が、精神的に辛かった内容なので思い出すことが少し怖く感じました。
少しでも、自分の当時の気持ち、思った事をに形に残すことができてよかったです。
それは、この話無しでは、今の私のアメリカ生活を語ることができないからです。
私の人生の分岐点と言っても過言ではありません。
人生に、あたりまえな事なんて何一つないし、約束もされていません。
明日はこの世がないかもしれません。
だから、1日1日大事に、周りの大切な人に愛を伝えてあげてほしいです。
「Everything happens for a reason.」(全て起こることには意味がある)
という言葉がありますが、この言葉は、とても私の人生にマッチしているように思います。
娘と孫をアメリカに送り出した日本にいる両親の気持ちになると本当に複雑です。
私をいつも一番に応援してくれるお父さん、お母さん。
いつも、遠くから見守っていてくれてありがとう。
私は、アメリカで頑張っているよ!
また、日本に帰省したら思い出いっぱいつくろうね。
「おかえり」を聞くためにまた一時帰国します。

